右は6年前の写真。息子が小学校2年になったところです。当時、息子は興味本位に、ほんの少し手の届くところを塗った程度でしたが、今回はガッツリと手伝ってもらいました。
前回塗った塗料はプラネットカラーのウッドコート。環境に配慮した、100%植物油と植物性ワックスを使用した純・自然塗料です。塗っていても嫌な匂いがしません。ペーパーをあててもなかなか剥げた感じにはならなかったので、この塗料の含浸性の深さを実感しました。外部では、鳥がとまって、引っ掻いていくことが多々あり、含浸性の低い塗料では、すぐに地肌が見えてしまいます。濃い色では、色剥げが忽ちみすぼらし見えるので、プラネットカラーにしてよかったなと思いました。
作業2日目、前回と同じウッドコートを塗りはじめました。妻と子供にペーパー掛けがおわったところから塗ってもらい、自分はペーパー掛けの続きをしていました。手伝ってもらうと自分の作業に余裕が出てきましたので、今回は前回できなかった場所を攻めることに。植栽が多く植わっている庭側をすることにしました。
次に塗替えをするのは5〜6年後となるとおもうので、この機会を逃したくないとおもい、結局作業は3日間となりました。足の置き場、体制のとり方がとても難しかったので、一部塗りきれなかった部分もあるのですが、なんとかやりきりました。
今回は、サンドパーパーをあててから塗装したのですが、塗料の伸びがよく、塗料が余ってしまいました。仕上がりもムラがすくなかったように思います。サンドパーパーあては必須の工程ですね。DIYで難しいのは工程の管理、自分たちが一日でできる仕事の量や質を、やりながら考えなければなりません。塀の他にも雨戸の戸袋や木製のルーバーなど、やりたいところが出てきましたが、またの機会にしたいと思います。費用は塗料を含め2万円もかかりませんでした。これくらいのコストで家の表情がシャキッとリフレッシュするのは、お得なのかもしれません。木製塀のメリットだと思います。
]]>
レオナルドはいつも、神の創りたもうものを見る時には、神がどのようにしておつくりになったかを感嘆せずにはいられず、人の造ったものを見る時には、どうしたらもっとよくなるかを考えずにはいられなかった。
出典 ジョコンダ夫人の肖像 E.L.カニグズバーグ作 松永ふみ子訳
建築をやっていてよかったと思うのは、旅行のときかもしれない。私にとって旅行は気晴らしではなく、勉強だと考えている。勉強であるかぎり、旅行は消費ではなく、投資となるからだ。旅で得たものを仕事に反映したいと常に考えている。また、建築をしているかぎり、そのチャンスはどこかであるのだ。
4月のはじめ、家族で竹富島に行った。若いうちに行きたいところに行くというのが妻の方針だ。その方針に、はじめは違和感を感じていたが、旅行が投資ならば、早いほうが、その効果があるはずなので、渋ることはあっても反対はしないようにしている。
竹富島は憧れの場所のひとつだった。伝統的な文化や自然が、極めて理想的な形で、かつ徹底的に保存されている場所は日本中どこをさがしてもこの島以外にないと思う。訪れたあととなっては、もはや憧れの場所でなくなってしまったのは残念ではある。たった2泊3日の短い旅で、憧れの気持ちが吹き飛んでしまったのはなんとも切ない。しかし、そのかわりに得たものはなんだったのか。大きなものを得たことは間違いはないのだが、一言では表せない。
私にとっての憧れの場所は、美しい場所のことであるが、美しいものは儚いと常々思う。人々が生きて行く上で、美しい場所は常に損なわれる危機にさらされており、その美しい場所を守るために、如何にその地域の人たちが努力をしているか… 旅行をするたびに強く感じることだ。特に、歴史的な美しさは一度失われると取り戻すことはできない。資本主義経済の日本において、また日本の建築の法制度や税政下において、それらを維持することが如何に難しいことかが分かるだけに、竹富島の美しさは努力を超えて、奇跡とよべる。
私達が宿泊したのは星のや竹富島だ。身分不相応とは思うが、このクラスのホスピタリティを経験することは、建築をするものにとっては、なによりも勉強になるのだ。おもてなしというと、人が人にすることだけを指すように思われがちだが、リゾートにおいては、環境が人をもてなす部分が大きい。そういった場所の建築がどうあるべきか、如何に難しい課題と立ち向かわなければならないか、少し想像しただけでも分かるであろう。星のや竹富島は奇跡そのものだった。
星のや竹富島は一軒家に宿泊するスタイルだ。その一軒家はここの地域の民家の形をとっている。グックとよばれる石垣によって囲まれていて、気持ちよくプライバシーが守られている。その一軒一軒が寄り集まって集落を形成している。一種のユートピアのような場所だ。その集落の周りを散策する。そして自分の家に帰る。まるで、自分がその島の人間になったような気分がした。もちろん、島の生活は甘いものではないと思う。島の一番良い部分だけを切り取って、そこだけ頂戴していることはわかっているのだけれど。一瞬だけでもそこで生活している気がしたことは、なによりのギフトだったと思う。星のや竹富島のコンセプト通り、私達は、3日間だけ、島の人間になれた。
さり気なくグック(石垣)に包まれていたが、この塀は建築基準法的にはどうだろう?という疑問が湧いた。おそらく、同じものを神戸で作ることは出来ないだろう。竹富のグックは竹富の職人がつくるから大丈夫なのだ。歴史が証明している。このリゾート地を建設する際に、このグックをめぐって一悶着あったかもしれないが、よく乗り越えたと思う。
歴史的な事実として、五重塔も石垣も、倒れたり、崩れたりした事実はないのである。優れた現代理論で説明のつかないときどう考えるのが正しいのだろうか。答えは、理論のほうが間違っていると考えるのが正しい。正しい理論は、現代の理論ではなく、その事実を説明できる別の理論でなければならないのである。事実が説明できるのが理論でなければならない。
出典 日本の木造建築史 第8回 近世の城郭・藩校 増田一眞 著
私を含め、法や理論に基いて仕事をしている人間は、ときどき大きな見落としをする可能性があることを知らなければならない。私達の伝統や文化に根ざした豊かさを守ることが大事なのか、決まりどおりのことをすることが大事なのか、この旅をしたことで、私のなかに一つの基準ができたように思う。
]]>過去に彼が小学生になった祝いに勉強机を購入しています。にも関わらず、その部屋を自分の場所として愛着を持てずにいたのは、自分のもの以外のものが色々と部屋の中にあったからだろうなと思います。
衣装用の収納ボックスを6つ購入し、自分で整理させました。もうこれからは、体操服がどこにあるのか、野球のユニホームがどこにしまってあるのかを朝の慌ただしい時に豪然と親に聞くようなことはないはずです。ベッドを新調しようかどうか迷っていましたが、とりあえず客間にあったベッドを入れ、ベッドに机、タンス(収納)と自分の身の回りを自分で管理する体制がようやく整いました。ついに子ども部屋の完成です。残念ながら掛け布団が夏仕様のものしかないので、まだ自分の部屋で一人で寝てはいませんが、一人で寝る日はそう遠くはないでしょう。
新築の家に、子供に個室が要るかどうか、時どき話題となります。これまで設計してきた家で、はじめから個室を用意した家は実はそう多くありません。その代わり、将来、子ども部屋にできるようなスペースを用意してきました。それは、施主がこれから子育でするという世代の人が多かったからかもしれません。たとえば、予定であっても子どもが2人の場合、子ども部屋を1室にまとめ、将来間仕切れるようにすることが多いです。そうすることで、フレキシブルな広い空間が得られ、子どもの人数の変更に対応できるようになります。2人の予定が1人になれば、そのままで良いですし、3人となれば、多段ベッドをいれて対応します。
しかし、そのままというわけには行きません。子供はいずれ、親元を離れ、自立しなければなりません。家を自立するためのトレーニングの場に変えて行かなくてはならないのです。初めから個室を用意しておくほうが経済的なのかもしれませんが、子どもの個室として使わないうちは、個室は得てして物置き小屋になってしまい勝ちです。私の家のように…
今回、壁の塗装という機会があったお陰で、息子の部屋が完成しました。子どもの成長に合わせて、ちょうどよい機会に、個室を用意でき、子どもの自立に向けての意識も自然と高まったことと思います。
これまで、設計してきた子ども部屋(子どもスペース)も、将来、仕切って二つにする機会が待っていると良いように解釈してもらいたいところです。それは自分だけの部屋が得られるよい瞬間、よいセレモニーになることでしょう。
]]>
塗装はもともと塗っていた、アウロをつかう予定でしたが、工務店のススメでフェザーフィールという塗料を塗りました。この塗料は、ドイツ本漆喰とよばれているもので、ローラー塗りができます。天然の素材のみで構成されており、吸放湿性に富み、防カビ、防臭性に優れています。塗装中あまり嫌な匂いはしませんでした。
実は、塗料のコストは、平米毎1500円と、汎用のビニルクロスを張り替えるより高いです。しかし、自分で塗ると相当安くすみます。今回は、業者に頼みましたが、次回塗るときは、自分たちでやってみようかなと思っています。
今回の塗装は約1週間の工期を要しました。日曜日を除くと5日間でした。塗り面積は約150?。塗装は一見簡単な工事のように思われがちですが、意外と時間がかかります。その一番の原因が2回塗り。乾くまで時間を置く必要があるのです。両親のLDKと寝室、子ども部屋と客間が施工箇所でしたが、工事の間、両親の寝る場所の確保をするのに苦労しました。
こんな時、わが家が2世帯住宅であることが大変活かされました。両親のLDKが一時、使用できない状態になったのですが、LDKがもう一つあることで、家で食事ができたり、部屋が余分にあるので、別のところに両親が寝泊りする必要はありませんでした。
築後今年で11年。あっという間に時間が経った気がします。11年前の家の姿を見ようと、写真データを振り返ってみました。
すると息子の写真が一緒にでてきました。1才と2ヶ月。いまや、四月には六年生。随分と長い時間をこの家で過ごしてきたのだなと改めて実感しました。修繕が必要なわけですね…
]]>アートなどに詳しい知人の誘いです。なんの予備知識もなく行きました。
この日、雨が降っていましたが、この展覧会の雰囲気には大変マッチしていたと思います。
展覧会のタイトルは「見立てと想像力−千利休とマルセル・デュシャンへのオマージュ展」。何人かの作家が教室や保健室や理科準備室、音楽室などをつかって展示をしていました。この展覧会で一番のお気に入りは上の写真の作品です。作家は小松千倫という1992年生まれの方です。保健室をつかったインスタレーションでしたが、保健室全体の空気そのものが作品だったのでしょう。一歩踏み入れた途端、何かの気配に包み込まれ、良い意味で不気味でした。
一般的に現代アートは何もない白い空間、所謂ホワイトキューブで展示されますが、今回のように校舎といった、ホワイトキューブ以外の場所でも展示されます。そういった場所では、作家はその場所性と対峙せざるを得ないのですが、作家のこの場所に対する回答は、流石と思いました。本当に素晴らしい感性です。
階段の蹴上には子供が学習するためのアルファベットがありました。月曜日には子供たちがいつものように登校してきそうですね。現在も第二教育施設として活用されているそうですが、新校舎が完成した後はどうなるのかわかりません。
ヘールシャムは今日明日にも閉鎖され、ホテルチェーンに売却される……。ロジャーからそう聞いたとき、わたしの口をついて出た言葉は、「じゃ、生徒たちはどうなるの」でした。 −中略− わたしは、「わたしたち」のことを言いました。わたしと一緒に育ち、いまは全国各地に散らばっている介護人と提供者。今は別れ別れになっていても、ヘールシャムで育ったという共通の一事で結ばれているわたしたちのことです。
(抜粋 「わたしを離さないで」 カズオ・イシグロ 訳=土屋政雄)
カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」を引用するまでもないのですが、学校がなくなることは大変センシブルな事柄です。主人公、キャシー・Hが感じた損失を、その小学校を卒業した人なら感じることでしょう。感傷的になってしまう話題です。この校舎は、耐震性がないことから、小学校として再び使われる予定はないようです。耐震性の有無は、法律に拠って判断されます。法律は私達の命や健康、財産を守ってくれますが、なにか大事なことを見落としていような気がします。永遠に存続するものはありませんし、全ての小学校を活かし続けることはナンセンスだとおもいますが、この小学校には、実に良い経年変化の跡がみられ、失うのが惜しく思われました。廃校になった校舎を、美術館やその他の施設に転用するような事業がなされていることもありますが、小学校でなくなった校舎には、魂が失われるように思います。このような校舎でこそ、子供は育つべきなのに……と私一人が悩んでも仕方がないことですが、色々と考えさせられます。
今回の展示は大変素晴らしいものでした。しかし、このようなインスタレーション型の現代アートは期間限定あるからこそ、輝きをもつものです。それに、人の心を通過していくだけのものです。それは、あたかも、失われた魂の慰み、あるいはそれ弔う墓標のように感じました。。。陰鬱な天気のせいもあってか、感動と、寂しさが入り混じった複雑な気分の一日でした。
]]>
カサベラ874号(イタリアの建築雑誌)の掲載文のなかにあった、哲学者の言葉だ。
自分自身の設計を省みて、商品化されたものが年々はばを利かせており、その勢力に抵抗できずにいるのを情けなく思う。開口部はアルミ製以外のものは余程の場合でない限りは選ばない。キッチンはシステムキッチン、浴室はユニットバスはもはや当たり前となってしまった。いまや、その部分を施主の完全自由とすることで、建築家との家づくりにともなうストレスのガス抜きの場所として利用しているのは私だけではないと思う。そして、最近では室内に使われる木製の扉までもが既製品に取って代わろうとしている。そこでは、施主はカタログから気に入った柄や色の建具をあらかじめ選ぶことができる。それは表面材が天然木の突板ではなくメラミン化粧板やオレフィンシートといった模造品であるからこそ可能なのだが、自然素材よりも人工の素材に信頼を置く人も少なくない。
「商品のかたちをとった虚無主義」という言葉は抽象的だが、このような社会状況下でデザインするときに感じる虚しい気持ちと私は解釈している。私たちは施主の買い物の代理人に限りなく近づきつつある。それらのコーディネートを委任できる人はデザインナーや建築家に対し、まだ理解がある方だと言えるかもしれない。
カサベラでは、近年途上国の建物をよく取り上げている。施工の粗さが目立つものの、全体の形やプランニングはいたって現代的なものが多い。そこには不思議と洗練がある。作りの繊細さ、表面の滑らかさ、部材の細さがなくとも美しい現代建築があることに気付かされる。もちろん、そこには商品化された建材が組み込まれていない。そのため、技術やデザインの純粋さや素直さを感じる。それは、多くの先進国の住宅で失われていると思われる。これからの建築デザインの主な舞台はグローバル化が定着しきっていない途上国へと移る傾向はますます強くなるであろう。向こうはどのように思うか知らないが、スタジオ・ムンバイやガビネテ・アルキテクトゥーラを羨ましく思う。
今、淡路で住宅の現場が進行中だ。施主の希望に添って、淡路瓦に木張りの壁の家とした。敷地の周辺にはおなじような作りの民家がまだ多く残っている。何年か経てば、この家は、随分前からあったかのように、場に馴染んで行くと思われる。周辺環境から自ずと決まるデザインも良いものだなと現場へ行く度に思う。
先日現場へ行くと、ちょうど瓦を葺いているところであった。その日、構造設計の方が金物の検査に来てくださったのだが、屋根に土が乗っているのを目ざとく見つけ、興味津々となって、職人にいろいろと根掘り葉掘り聞き始めたのだった。私はそれを隣で聞かせてもらった。
瓦は現在では乾式といって、水気を含まない形で施工することが多い。そのため、土は使われないという先入観があった。どうやら、けらば瓦や軒瓦、熨斗瓦を据えるのに土が必要なようである。特に一文字瓦のような瓦だと、軒先のラインがピシッと決まらないのであろう。職人の話によると、淡路瓦も進化し、地震や台風に対する対策が講じられているそうだ。瓦の隅に爪のような部分があるのだが、これが互いに噛み合うことで、台風に吹かれても瓦がずれないとのことだ。昔は台風の度に瓦がずれ、その度に補修のためにお呼びがかかったそうだ。
淡路瓦は私のこだわりではなく、施主のこだわりであった。私はむしろ、コストや耐震性の観点から金属屋根を推していた。こうして、職人が施工する姿を見ると、瓦を乗せてよかったと思う。昔からの営みが引き継がれた感じがしたからかもしれない。いままで経験したことない思いだ。
]]>こちらのイベントには初参加ですので、どのような出会いがあるのか楽しみです。
今回参加させて頂くイベントは「SEN+」と「SEN+リフォーム」というブランドの家づくりをする「エスリンク」さんのイベントです。主催は松下工務店ですので、基本的にはこちらの工務店が工事を請け負うことになります。建築家と家づくりをすることができる工務店ですので、技術には自信があるのでしょう。イベント会場でいろいろとお話し、どのようなお考えのある会社なのか知ることができればと思います。
「SEN+」と「SEN+リフォーム」では1000万円台で建築家と一緒に家づくりをすることをテーマにしています。
どのようにして1000万円台の家づくりを可能たらしめるかは、松本工務店およびエスリンクさんから直接説明をお受け下さい。
建築家としては、できるだけ凸凹の少ないプランを用意するのみ。このイベント用に1/50の模型を3つ用意しました。
見に来てくださいね。お待ちしております。
]]>東京の都市空間は風景としての完成度が高いということでした。
都市や風景というと、「そこにあるもの」「どこにでものあるもの」なので、
何を言っているのか分からない人もいるかもしれませんが、一見百聞にしかず、
まずこの写真を見て下さい。これは国立新美術館のホワイエ内部の写真。
入場料を払わなくても、この風景を目にすることができるし、
この空間にすきなだけ佇むことできるのです!(開館時間内ですが)
まるでグランドキャニオンのような急峻な渓谷にいるような空間。
断面的に面白いとはこのことなのだと再認識。
図面をかいているとついつい平面図に意識が集中しがちなのですが、
断面図がおもしろい建築を作りましょうと学生の頃、よく言われましたよね。
斜めの廊下がおもしろいのかな…トップライトが良いのかな…
石畳のような床の素材がいいのかな… おや誘導灯が床に埋め込まれてますね…
目に入るものすべてが風景の一部。どれとして手を抜いていない。勉強になります。
これは六本木ヒルズ内部、竹林の中を歩いているようなイメージ。ジャポネスクな感じが漂います。
日本らしさを意識しているのは、国際的な都市、東京ならではでしょうか。
関西人の私には新鮮でした。
こちらは虎ノ門ヒルズのホワイエ内部の写真。
段差だらけ。ところどころに車椅子用の昇降機が据えられているが、なんと贅沢な…
この段差こそがこの空間の魅力であることはいうまでもないです。
都市風景は自然の模倣から始まるのでしょう。フラットな部分はないし、直角な部分もない。
建築は人がつくるもの。でも最近、その人がつくったものが、第二の自然として、風景のように美しくそこに佇んでいます。そんな時代になってきているなんて、これも平和で豊かな時代が続いた賜物なんでしょう。奇跡に近いものを感じます。自然の風景そのものとは言わなくとも、自然から快適で、心地よい風景のエッセンスを学び取り、作り出しているような気がします。人類の空間デザイン技術は日々進歩しているのでしょう。
]]>
そのように考えてしまう段階で、だめで、
それは理屈ではなく、ただ旅行へ行くという欲求あるのみ。
その欲求があまり強くはないことが僕のコンプレックスとなっている。
幸い、妻が旅行へ行きたい気持ちの持ち主で、その気持は泉のように湧き上がり、
毎年、引っ張られるようにして、いろいろなところへ連れて行ってもらっている。
今年は東京へ家族旅行に出かけた。
たくさんの美術館を巡って、素晴らしい経験に出会った。
旅行して本当によかったと思う。
また行きたいかと聞かれると、行きたいと答えると思う。
旅行から戻り、日常へと帰る。
旅行カバンには美術館で収拾した沢山のチラシや入場券などなど…
きっとこのままでは、ゴミとなってしまう。
これをなんとかしなければ、そういうのはいつも僕の役割なのだ。
美味しい食事のあとの後片付けほど心を満たすものはない!?
チラシをファイル用クリアポケットに入れ、
リングファイルかチューブファイルに綴じよう!
一冊の本ができあがる。雑だが、その旅行をした人にしか意味のない本である。
そのファイルをめくるたびに、旅の経験が呼び起こされる。
なるほど、旅行と僕の何かが繋がった。
旅の途中、とある美術館で、とあるアート作品の絵葉書を三枚購入した。
そのアート作品は巨大な鉛筆画で、モノクロームの風景画。
その風景は非常に見慣れた風景で、それもそのはず、六甲からの風景で、僕の家から見える風景とほぼ同じなのだ!
その巨大なドローイングの風景画の上にプロジェクターが正確に空の色、海の色を落とし込む。
それは次第に変化し、夕になり、夜になり、朝になったりした。
僕はそのアート作品に完全に共感できたと思う。暫し、そこにとどまっていた。
このアートは六甲の風景の素晴らしさを、本当に余すこと無く表現できていると思う。
ショップでは、この作品が絵葉書となって売っていた。
モノクロームバージョンと昼間バージョンと夜バージョンの三種類。
三枚とも購入した。購入すると同時に、家に帰れば、僕はこれを額装すると心に決めた。
頭の中にはその絵がすでに出来ていたと思う。
自画自賛。この額を見る度に、旅行の思い出が思い起こされる。感動が蘇る。
妻もこれどうしたの?!と目を丸くする。
旅行は思った以上に面白いのかもしれない。
]]>
6月26日(日)一日だけのイベントをしました。
トクラスの箕面ショールームにて、建築家グループ木喜の「すまいの建築展」というイベントです。メンバーは左から 辻元さん、私、塚原さん、茶之木さん、林さん、小河原さんです。
パネルと模型の展示といういつもの形式ですが、
今回は、耐震診断や耐震補強についての一般向けセミナーも開催しました。
なんと、池田市木事務所から「ピノキオぐらぐら」という、
筋かいや面材の重要性がわかる模型をお借りすることもできました。
その他、国や市の助成制度についてや、診断法における評点の意味についてレクチャーしましたが、
お客さんからは、難しかったとの感想をいただきました…
次のイベントではもっとわかりやすく、楽しいセミナーを用意したいと思います。
建築家のイベントもいまや珍しくなくなったようで、
ここ最近いくつかイベントに参加してはいるのですが、
今ひとつ手応えがない状況です。
いろんなことを根本から見なおさなければならい時期にきているのでしょうね。
]]>
いろいろとしていたのですが、最近では病院の外装のリフォームをしました。
旧逓信病院の外観はかなりシンプル。もとの設計者がちゃんと美しく作っています。
ペントハウス風の5階がチラリと見えているのもいい感じです。
外装リフォームをするにあたり、あまり余計なことはしなくても良いと思っていましたが、
イメージを一新したいということでしたので、いろんなことさせていただきました。
こちらがビフォアの写真。正方形の開口部が規則正しく並んでいます。
駐車スペースが少ないのが難点です。駐車場なのか、アプローチなのかわからない様子が、
なんとも宙ぶらりんでした。
外観のリフォームといっても、建物の立面を変えることだけが、外観のリフォームではないですよね。
利用者に気持ちの良い印象をもってもらうことも大事ですよね。
ということで、アプローチ廻りの床、壁、庇を重点的にリフォームしました。
アフターこちら、
鉢巻でもいいから、外観を変えてほしいとのことだったので、上の方だけ、タイルの上から塗装しました。
病院を運営しながらの工事では、匂いの問題や音の問題があり、できることが限定されます。
タイルの上からの塗装は、揮発性の高い有機系塗料となるため、病院リフォームには向きませんが、部分を限定し、思い切ってやらせていただきました。
病院カラーにちなんだブルーです。これは目立つ… イメチェンになったと思います。
木目調の落ち着いたイメージにしております。ひとことで言うとホテルライクです。
庇の先端を金属パネルで覆い、重いタイルの質感を消しました。
加えて黒色とすることで、存在感を沈めております。
ステンレスの自動ドアの大きな無目や方立も黒のシートをはりました。
無機質で冷たい印象が消えたと思います。
とても短い工期のなか、工務店の方、ご苦労様でした!
]]>